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遊戯空間 「詩×劇 つぶやきと叫び-ふるさとはいまもなお-」

すごかった

昨日、遊戯空間「詩×劇 つぶやきと叫び-ふるさとはいまもなお-」の初日を観てきました(@上野ストアハウス)。

福島県在住の詩人、和合亮一さんの「詩の礫」をもとにして構成されたお芝居です。既に2011年から上演されていたとのこと、今回初めて知りました。
仙台在住の俳優、渡部ギュウさんが出演されるとのことだったので、懐かしい気持ちで気軽に観にいったのですが、俳優陣の格闘(←演技という言葉で表現すべきじゃないと思いました)と和合さんの詩の言葉の重みを一身に受けて、衝撃を受けて帰ってきました。観にいって良かったです。

3.11発災の後に起きたことや和合さんの詩で表現される当時の状況、心情がわかるような気がしました。被災地にいた方々とは比べものにならないとは思うけど。
同時に、東京にいながら感じていた気持ち(心配、やきもき、怒り、恐れ、哀しみ、焦燥、不安など)などがいっぺんに呼び覚まされてきました。原町の父母や叔父叔母をめちゃくちゃ心配したこと、双葉の病院にいた祖母が一時行方不明になって探し回ったことなども思い出しました。

また、福島や東北に降りかかる「厄災の変遷」も思い出しました。発災直後の津波や建物の倒壊、それによるたくさんの死など直接的なものから、原発の水素爆発、それに伴う浜通りの孤立、物資が届かないこと、震災関連死、さらには放射能に関する様々な捉え方、原発事故によるコミュニティの分断、心理的な分断、福島への差別、風評被害などに徐々に拡大していくさまなどが、まざまざと思い起こされました。そしてすべてのベースには原発事故がいつまでもあることも突きつけられました。
思えばうちの父も、震災後一回も自分の家に帰ることができないまま、亡くなってしまったんだと思ったりもしました。

ラストシーンで、舞台のスクリーンに一見ひょうきんな、でもしみじみと気味の悪い表情のお面が映し出されるのですが、それはどうやら「鬼」のようで、終わらない原発事故とその処理に翻弄される人間たちをあざ笑っているようだったのがとっても象徴的でした。

最近中通り経由で南相馬に帰ったのですが、途中福島で吾妻山や安達太良山をみたり、福島の郊外の風景を見たり、飯舘村を通ったり、原町の街の中を回ったりして、改めて福島の自然の美しさや故郷のありがたさを実感したところなので、よけいにしみたのかなあと思いました。同時に、非常に考えさせられました(もうちょっと言語化したいですが、うまく言えずもどかしいです)。

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